図巧38番をめぐって

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第1図

第1図

第1図より
23角、55玉、にて第2図

1983年も残りわずかという12月末の曇る日、黄色いペンキ君と私が図巧百番を順に並
べながら議論している処へ、友人の木田正六君が尋ねてきていつになく賑やかな午後。
ああでもないこうでもないとやっているうち、38番の処で木田君が
「それ、角で取ったらどないになりまねん?」
指将棋は県代表に角を引いて五分という木田君、流石に鋭い質問。

左図(第1図)は図巧38番で、木田君の質問が出たのは、そこから3手進んだ第3図の
46銀のところ。

第2図

第2図

第2図より
46銀にて第3図

左図で、作意は同銀だが、角で46の銀を取ったらどうするのかと、木田君は尋ねてきた。
そもそもこの作品は、第2図で56歩と打ちたい。
ところが、25龍が強すぎて打歩詰、そこでこれを消したいのだが、いきなり35龍と捨てると
これを35同角取られて、今度は玉 方の馬が強くて詰まない。
そこで詰方は一工夫しなければならない。
46銀と出て第3図となるが、これを作意は同銀と取って、以下35龍と龍を消去するので、
46銀の真意がよく見えないことになっている。
さあ、この46銀にはどんな意味があると言うのだろうか?

第3図

第3図

第3図より
同銀(イ)35龍、同銀、56歩、44玉、34角成、53玉・・・

左図の46銀に対して
@同角は、56歩、同馬、35龍、 45歩、46銀、同馬、同龍以下詰。
A同角不成・・は、35龍、同角、 56歩、44玉、34角成、53玉、52馬、44玉、33銀以下詰。

つまり、このまま第2図で35龍とすると、同角成と馬を作られて×なので、一旦
46の地点で成るか成らないかを聞いてみようという銀出(左図の46銀)。
そこで成ればいきなり56歩が打てて詰むので、46角不成。
であれば、今度はAのように35龍と取っても今度は生角なので詰む。

と、ここまで私と黄色いペンキ君がいろいろ解析していると、
「あっ!」と木田君が叫んだ。
この46銀こそ、彼が随分前から概念的には提唱していた打診銀出・・・・ であり、その具体例をここに発見。

「なあんだ、打診打診といろいろ手筋を見てきたが、看寿の頃にすでに作られていたんじゃないか」






第4図

第4図より
44銀、同角不成、33龍、同角、54歩、42玉、32馬、51玉、61歩成まで9手詰

年も明けて、将棋世界2月号の付録にこんなのが載っていたよと黄色いペンキ君が
第4図を見せてくれた。
どれどれと覗いてみると、何とあの打診銀出が載っているではないか!
宮田五段(当時)作のこの作品こそは純粋な打診銀出で看寿が変化に隠したものを
簡素に描いている。
このことを棋友にいろいろ聞いてみたが、図巧にそんな手段の作品があるとは、みな
知らなかった。
丸椅子を横一線に並べ、その上で昼寝をするのが趣味と言う木田君、図巧は本棚で
埃をかぶって泣いていると、虚空を眺めるようにそう言った。


あとがき

この稿は詰将棋パラダイス1985年3月号にわたくしが投稿して掲載された文書を加筆訂正したものだ。
文中の木田正六君は黒田紀章氏のアナグラム、黄色いペンキ君は素田黄氏のこと。
般若一族はこうして、大井町駅前将棋センターに集まっては日長将棋の研究やら詰将棋の研究をしていた。
伊藤宗看、看寿の「無双」「図巧」に関して、そのエンジン(主要な構造部)の部分だけを取り出して
解説の本を作ろうというアイディアもあった。

この2年後に、黒田氏から、「お前のようなものは、ここにいてはいけない、お前のことを待っている人々が
必ずいるから、もうここにいてはいけない」と言われ、大井町を去った。
しかし、それが般若一族の終焉になるとは思いもよらなかった。
別の場所にいても、また必ず集まれると信じていたが、ことはそう簡単ではなかった・・・。

なお、第4図の「打診銀出」について蛇足ながら、説明すると、初手いきなり33龍は、同角成と応じられ
この馬が強くて詰まない。
そこで初手が44銀!
これに対して同角成と応じると、すかさず54歩と打たれ、同馬の一手に33龍として早い。
従って、玉方はやむなく44銀に対して同角不成と応じるしかないが、それなら33龍として、33が生角なので
32馬が実現して詰む。
まさに、図巧38番のエンジンだけを取り出した作品である。

第4図は発表時に一路右に寄った図で余詰だった。
今回掲載するに当たって、左に寄せた。

「図巧」に限らず古図式は存外宝の山かも知れない。